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歯は健康の源~人生100年を見据えて

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International Dental Clinic(国際歯科) の日記

一億総玉砕の果てに

2021.03.12

仮定の話をすれば、仮定の話には答えられないと、どこかで聞いたようなセリフだが、しかし、もしあの時こうしていれば、と検証してみることは将来において非常に大切であることは論を待たないと思うのである。なぜなら、人は常に失敗からでしか学べないと思うからである。

 もし、あの戦争において、日本がミッドウェイの大敗を国民に伝えていたなら、そして、そこでどうにかして、踏みとどまって、アメリカと講和条約を結ぶなりして、一旦手を引いていれば、今頃、日本はどうなっていただろうか?むざむざ、北方領土まで、失うことはなかったのではなかろうか?もっとも、どうなっていたかはわしには、分からない。しかし、少なくとも全滅に近いほどの敗北の屈辱だけは免れたのではなかろうか?敗戦がもう決まったも同然になっても、日本は一億総玉砕などと息巻いていたのである。

 今度はアメリカの助けもあってか、戦後日本は実に安心して経済活動にのめりこむことが出来たのである。その結果、経済大国世界第二の大国にのし上がって、国際社会からも一目置かれるようになり、G7主要7か国の中にめでたく入る結果になったのである。ここまでは良かった。しかし、その後がまったくもって、恥さらしもいいとこだったのである。つまり、バブルがはじけたのである。その後の20年間、日本はどうなったかは、大方の国民諸兄はご存じであろう。

 ことほど左様に、いつも日本はいいところまでは行くのである。そして、一瞬輝くのである。しかし、結局最後には敗北で終わるのである。まるで、線香花火のように、である。なぜ勝てそうで勝てないのだろうか?日本は。そのことを解明したくて、わしはある小説を熟読したものである。タイトルは「ある通商国家の興亡」という本である。わしは、これはカルタゴの話だなとピーンと来たのである。カルタゴもまた、ローマと3度、戦い、最後には総玉砕して果てたのである。つまり、カルタゴはすべて灰燼に帰してしまったのである。結局、カルタゴは何も残さなかった。残したのはたった一枚の血染めの遺書だけであった。そこには「人は金銭のみにて生きるにあらず」と鮮血の文字がしたためられているはずだ。というところで、この小説は終わっているのである。この物語はどこかの国の話に似ていないだろうか?そう、わが日本と瓜二つではないだろうか?

 結論を急ごう。今度はコロナという怪物がやってきた。そこで、このコロナという目に見えぬ敵とどうやって戦うかである。

 ここで、わしの意見を述べさせて頂きたい。コロナに感染しないように密を避けろと言うのは巷間、言われていることである。専門家もまたそう言っている。しかし、わしはこう思う。密を避けるのではなく、分散すれば良いのではなかろうか?さすれば、コロナに打ち勝てるのではないだろうか?同じことだといわれるかもしれない。しかし、同じように見えて、まったく違う概念ではなかろうか?

 日本人はとにかく、群れたがる。多分、安心感がそうさせているのだろう。しかし、一番安全な道は一番安全だとはわしは思わない。常に危険と隣り合わせの関係、その状態が一番安全な場所だとわしは思うからである。

 一億総玉砕などと、心にも思っていないことをほざく前に、いま一度本当に立ち止まって良く良く考えてみることである。どうしたら、この難局を乗り越えられるだろうか?答えは意外と簡単なところにあるのではないだろうか?


(後記)今、世界中がコロナという脅威に晒されている。わしも、これから、世界がどうなっていくかは全く分からないでいる。しかし、その中でも今まで、見えてこなかったものが見えてきたというのは、怪我の功名とでも言えるのではないだろうか?それは我々人類一人一人に「生きる」とは本当はどういうことなのか、ということを語りかけているかのように思うからである。そこから導き出される結論として、人は金銭だけを目的として生きているわけではなく、自分がこうしたいと思う情念に駆られて生きているだけなんだと気が付いたのである。であるなら、自分がこうしたいと思うことに突き進めば良いのである。それが人生だとコロナが教えてくれたのである。



 

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