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International Dental Clinic(国際歯科) の日記

和を以って尊しとなさず

2018.04.08

和を以って尊しとなす。聖徳太子の言った言葉とされる。また、日本のことを大和(やまと)とも言う。個人的には大和というより倭と書いたほうが私は好きである。そして、日本人はこの和という言葉が大好きである。しかし、何を以って和というのだろう?私はそこをもっと掘り下げてみたいのである。確かに同じような意見でみんな仲良くするという事は素晴らしい事である。しかし私は小さいときより、この和ということに常になじまなかったのである。私は幼少のときから、常に普通の子供とは普通につきあえなかったのである。

 和とはいったい何なんだろう?みんなと同じ考え方をしろということだろうか?人と違った考え方では和すことはできないのだろうか?そんなことはないはずである。むしろ違った考え方であるからこそ、それぞれが尊いのではないだろうか?

 思うに日本の社会は大概の場合、右を向けというとみんな一斉に右を向く。今度は左を向けというと、また、一斉に左を向くのである。しかし、これはおかしい。私から言わさせていただければ、それぞれ違った意見を持っていて当たり前なのである。右という人もいれば左だという人もいる。いや、自分は右でも左でもないんだという人も当然いるのである。私はこの日本人のいつもどちらかに偏る性格がいつも気に入らないのである。他人の意見と同じことであるのを良しとするなら、そもそも考える必要もないではないか。みんな仲良く赤信号を渡れば良いのである。しかし、それはおかしい。

 よく日本国内では才能が認められなかったけれども、海外に出て才能が認められて花が開いたという話をよく聞く。日本では人と違ったようなことをすると、仲間はずれにされるようなところがあるのである。なぜなら、そういうやつは和を乱すからである。

 しかし、私はそういった人間にむしろ強く惹かれるのである。なぜなら、人と同じようなことしかできないやつは面白くないからである。面白いということは、違いがあるから面白いのである。また、その違いが自分をはるかに超えているから面白いのである。

 私は、こういう多様性のある社会が好きである。同じような人間がいて同じような価値観しか持ち合わせていないとすれば、そんな社会は味も素っ気もないつまらない社会だと思うのである。そして同じような価値観しか持ち合わせていないとすれば、それが故に一方向に偏って進んだ場合、ものすごく危険でしかも状況の変化に対応できない脆弱な社会になってしまうのではないだろうか?

 多様性を受け入れる寛容な社会であること。自分と違う意見でもそれが素晴らしいと思える人間関係が持てること。そのことが今、我々日本人に求められている大きな課題ではないだろうか。

和を以って尊しとなさず

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