International Dental Clinic(国際歯科) の日記
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東京オリンピック返上論
2016.06.09
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リオデジャネイロのオリンピック開催はジカ熱の流行のためにWHOが延期を勧告している。もし、延期ともなれば、東京オリンピックもどうなるか分からない。
大体が東京オリンピックも前の前の石原東京都知事が言い出したことである。そもそも、国民の間にはオリンピックをやろうという機運は全くなかったのである。言ってみれば寝耳に水のような話である。しかも、東京オリンピックは最初からトラブル続きである。というか、何やってんだというか、ケチがつきまくりである。そして、このところの舛添の横領ともとれる税金の使い込みである。それでも知事職に留まりたい言い訳として、東京オリンピックを成功に導く使命があるからというやつである。石原の糞爺は結局、やりたいことをやり、言いたいことを言って、とっとと、引退したのである。そういう意味では舛添は可哀想である。道理で、石原が「舛添さんは可哀想だ」と言うはずである。
この際、金まみれ、汚職まみれになった、オリンピックなど返上したらどうだろうか?私的意見で申し訳ないのだが、私は少々、体育会系の人間に恨みがある。ヘイトスピーチみたいなことを言われた経験があるからである。大体、体育会系だとか文科系だとか人を差別して考えること自体、おかしいと思っている。それはただの私の私憤だから、傍らにおくとして、オリンピックなどは成功させるも何もなく、誰が知事になろうが、それこそ、粛々とオリンピックが行われるだけのことである。知事のリーダーシップなどどう見ても必要ないと思うのだが。オリンピックはクーベルタンの言ったように原点に返るべきだと思うのである。
そして、更に嘆かわしいのは都政もそっちのけで、今でも舛添の疑惑追及で都政は麻痺したままである。しかし、不思議なことに都議会が機能していなくても、何ら東京は混乱していないのである。ならば、そもそも都政など必要ないということになるではないか。東京は都の職員が居れば回っていくという現実を垣間見せられたような思いである。
よくある話である。必要だ、必要だと思われていたものが実は、全く必要がなく、何の為に居るのか分からないような人間が実は後になって、そいつが要(かなめ)だったという話である。無用の用ともいうが、しかし、そんな立場になった人間は悲劇である。本当は自分が一番認められてしかるべきなのに、その時は全く一顧だにされないからである。後から気づかれても、そいつにとっては、もう何の意味もないのである。