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歯は健康の源~人生100年を見据えて

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International Dental Clinic(国際歯科) の日記

ゆとり教育とゆとり社会と

2016.06.04

私はゆとり教育がどういうものであったのか知らない。とにかく、このお陰で土曜日も学校は休みになったらしい。週休2日制である。私の世代からすれば、将に信じられない話である。はっきり言って、先生が休みたいから、そうしたのでは?と、勘繰りたくなるのである。それに、勿論、振替休日、祝日は言うに及ばず、子供達にはあのなが~い夏休み、冬休み、春休み、秋休みもあるのである。と、計算すれば、大体、1年のうち、半分ぐらいは休みだということになるのではないだろうか?先生っていいな。一杯、遊べるもんと言いたくなってくるではないか!しかし、はたしてこれが教育だろうか?教科書はぺらん、ぺらんになった。筆算もできない。前に子供(私の子供ではない)の算数の文章題を見てやったら、大抵、私はその場で解けるほどの能力は持ち合わせていないのだが、驚くべきことにそんな私の能力でも簡単に解けたというより、人を馬鹿にしたような単純な算数の文章題であったのである。その時の文章題がどういうものだったかは忘れてしまったが、例えば、こうである。20メートル、歩くのに一分かかったとする。そうしたら、100メートル歩くのに何分かかるでしょう?こんな具合である。笑えてくるではないか!

いやはや、驚きだった。これが世界に冠たる教育国家の実態だったとは。完全な手抜き教育になっていたのである。子供にしてみれば、学校へ行く必要もないし、又、頭を悩ます必要もないから、大いに歓迎だろう。しかし、出来上がった人間は、およそ、社会に通用しない馬鹿ばかりだったということになってしまったのである。

そして、社会もいつの間にかゆとり社会になっていたのではないだろうか?社会もまた、週休2日は当たり前、その他に、振替休日だ、何とかの日だといって、やたら、祝日を多くしてしまった。結果、思うように仕事が回らない。親会社が大型連休に入ると、中小もそれに合わせて休むしかなくなってしまうのである。そうこうしているうちに仕事そのものが段々と少なくなってくる。そうなると、単価を上げてもらわないととてもやっていけない。親会社はそれは駄目だという。じゃあ、もっと仕事を下さいというと、そんなことを言うなら、他に仕事を回しても良いんだよと言ってくる。分かりました、うちでやらして頂きますということになる。その結果どうなるか?

結局、ゆとりを求めた結果、皮肉なことに全然ゆとりのない社会になってしまったのである。今や、正社員よりも派遣社員の方が多いくらいではなかろうか?派遣会社というと聞こえは良いが、要するに労務者斡旋業者であり、昔でいう手配師と何ら変わらない。安倍は本当に分かっているのだろうか?今や、日本は手配師による、総日雇い労働国家に陥ってしまっていることを。

しかし、派遣社員は使い勝手が良い。正社員の半分で使えるではないか!しかも、気に入らなかったら、すぐ首にできる。会社には負担の何物でもない年金、医療の掛け金も払わなくても良い。こんな良い制度があったのかと会社はまさに笑いが止まらないのである。そうだ、派遣会社と結託すれば、もっと、もっと、おいしい汁を吸うことができるわいと、経営者側が考えても何ら不思議ではない。し、又、現実もそうなっているのである。いつも、いつも、どんな時代でも弱い立場の人間が馬鹿を見るのは、どうやら普遍的な真実であるらしい。・・・・・・・しかし、本当にこんな社会で良いのだろうか?いつか、必ず、破綻する。いや、もう、既に破綻しているのではないか。だから、私は政権が交代するのも一つの大きな安全弁であると見る。本当のところ、自民党が良いのか、民進党が良いのかは誰にも分からない。しかし、自民党の政治にはもう、国民は飽き飽きしているのではないだろうか?常に結果ありきである。また、安倍は正直そうな顔をして、とんでもない嘘つきである。経済政策も失敗である。安倍は顔が良いからもっているだけだと私は思う。しかし、政治は本当に顔だろうか?顔は二の次にしてもらいたい。おばちゃまに絶大な人気のある小泉進次郎も良い顔をしている。民進党の細野も実にハンサムである。おばちゃまにとってはもうたまらない魅力だろう。しかし、そんなことを言っている場合ではない。私はもう一度民進党に政権を取ってもらいたい。そして、きな臭いだけの安保法制も、秘密保護法案も取り払ってもらいたいのである。それが本音である。それとも、幸福実現党も宜しいのではないだろうか?

(後記)やはり、私は学校の先生はサラリーマンであってはならないと思う。その意味では教育は聖域であるべきだと思うのである。一頃の小泉がほえていたような「聖域なき構造改革」は間違いだと思うのである。その意味で、手に負えないような糞餓鬼は頭から、どやしつければ良いのであって、それが教育である。そういう糞餓鬼には、どんどん体罰をすべきである。廊下に立たせるぐらいは当たり前である。私の子供のころは残飯食いというのがあった。罰として、給食の残飯を寸胴から、先割れスプーンですくって無理やり食べさせるのである。しかし、教育とはそういうことである。子供の世界というのは、本来、残酷なものである。だから何をやりだすか分からないのである。無軌道にほうっておいたら、どうなるか?ちょっと、考えればすぐ分かることではないか。教育者は、まだ人間になっていない子供に何が正しくて、何が間違っているのか、命がけで教えるべきである。だから、教育は聖域なのである。動物から人間に育てていかなければならない。それが教育者の使命である。馬鹿な親を諭すぐらいでないと教育は出来ないのである。私の言っていることは間違っているだろうか?極論かもしれないが、それで良いと心底思うのである。








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