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歯は健康の源~人生100年を見据えて

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舛添問題に思う。

2016.05.22

今や、舛添は時の人である。べらぼうな公費の使い方をして、東京都民もさぞや、怒りの虫が収まらないだろう。マスコミもここぞとばかりに叩くわ、叩くわの一大合唱である。しかし、不思議なのは、では前のそのまた前の石原の時はどうだったのだろうか?石原東京都知事も舛添に負けず劣らず、公費を自分の遊興の為に浪費していたのである。あらぬことか、舛添の横領とも思える、公費の公私混同も、「舛添さんは気の毒だ」などと、うそぶく有様である。しかし、このくそ爺こそ、将に公費を私的流用していた張本人であり、尖閣の問題に始まり、今や何とも形容しがたくなってしまった、東京オリンピックを招致した張本人ではないか?!東京オリンピックはケチが付きまくりである。国際競技場の問題、エンブレムの問題、果ては招致にこぎつけるために使った、賄賂とも受けとれる公費の流用である。こんなことなら、もう一度、仕切り直して、オリンピック開催をトルコに譲った方が良いのではなかろうか?今なら、まだ間に合うと思うのだが。私はオリンピックを東京で開催する必然性は全くないと思っている。

しかし、舛添がこうもバッシングを受けて、石原が何とも言われないのはなぜだろうか?勿論、舛添などに肩入れするつもりは毛頭ない。一番腹が立つのは、海外視察?の為になぜファーストクラスを使わなければならないのか?そして、一体、どういった成果をあげたのか?へたをすると、自分の遊びの為に、累計、2億何千万も公費を浪費したともいえるのである。これが、都民に選ばれた東京都知事のやることだろうか?しかし、その悪しき前例を作ったのは紛れもなく石原であり、舛添もたじたじな公費の流用、なおかつ、公務の投げ出し、つまり、さぼっていたのである。その石原がなぜ、糾弾されないのか?以って、不思議とするところである。

そして、つらつら考えるに、その裏には、石原は恰好良いから許される。舛添はただの禿だから許せない、という人間の根源的などうしようもないぐらい憐れな性(さが)がそう思わせてしまうのであろうと思えてくるのである。もっとも、石原は周囲に対して、それなりの包容力もあったのであろうことは推測されるが。ちなみに、山崎拓と小泉純一郎と、どこがどう違うのだろう?山崎拓が小泉純一郎と同じことを言っていても、人は同じだとは受け取らないだろう。山崎拓は女へんで失脚しても、小泉純一郎は何をやっても許されてきた。私はここらあたりに民主主義の限界があるような気がする。民主主義は結局、衆愚政治につながるのである。ヒットラーはまさに民主主義の手続きを踏まえて出てきたのである。そのことを、もう一度、よく見つめ直した方が良いのだと私は思うのである。

(後記)石原の失政でまた思い出してしまったのは、あの官製銀行ともいわれた東京銀行の失敗である。しかし、私は、このくそ爺こそ糾弾されても良いと思うのだが、誰も糾弾しようとしない。そう思うのは僻みだろうか?多分そうだろう。私は、あまり太陽が照り輝いている道を歩いてきた経験がない。否、皆無といってもいい。だから、そういう人間を目の当たりにすると、言いようもない、口惜しさを覚えるのである。石原慎太郎はかの銀幕の大スターの石原裕次郎のお兄さまであり、常に太陽が照り輝いている道を歩いてきたような男である。しかし、つらつら考えるに、天はこうも不公平なのだろうか?と思うのである。世の中には天から何物も与えられなかったような人間もいれば、石原の様に二物も三物も与えられたような人間もいる。私もこういう仕事をしていると、とんでもなく可哀想な人にでくわすことがある。そして、運命の、または世の中の不条理に愕然とするのである。天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずというが、あれは全くの嘘である。天は現に人の上に人を作り、人の下にも人を作るのである。しかし、それはそれで良いのだと私は思うのである。問題はそこから生まれる傲慢、或いは逆に卑下から、どうやって、一切衆生を救うことができるかではないだろうか。と思うのである。

(後記2)しかし、舛添は救いようのない人間である。口先と本音がこうもちがうものだろうか?彼は決して、自分の行った行為が恥ずかしいことだとは思っていない。ちょっと、まずかったとしか思ってはいないだろう。ところで、私が癇に触るのは石原は勿論、猪瀬も舛添も、なにか言われるとすぐ私は東京オリンピックを成功に導かなければならない使命があるとかいう金科玉条である。果たして、あんなことがそんなに重大なことだろうか?たかがスポーツの祭典である。東京はただ便宜を図れば良いことであって、それ以上でもそれ以下でもないはずである。それこそ、オリンピックが東京都知事の偉大さの言い訳にされるぐらいなら、けちの付きまくりの東京開催を本当にトルコに譲ったほうが、よほど、東京のひいては日本の名誉になると思うのだが。そして、多分、それはもう今更無理でしょうと言われると思うが、そうだろうか?かつての大戦でも引き返す機会はいくらでもあったはずである。なぜ、それを教訓としないのか、やはり私には分からないのである。しかし、舛添は釈明会見をすればするほど、そのせこさが露呈してくるのは、いったい、何だろうと思ってしまうのである。やはり、これが民主主義の限界なのかと思うのである。所詮、選挙期間中だけ良い顔をされても実態は分からないのである。結局、マスメディアが作り出した虚像に都民も踊らされていただけではないだろうか。政治は人気投票であってはならないと思うのである。





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