International Dental Clinic(国際歯科) の日記
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世界から馬鹿にされる日本(その七)~人を幸せにしない国、日本
2022.05.18
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よく、芸術家で、日本にいるときは、全く評価されなかったのが、海外へ出ていったら絶賛され、世界的に有名になり、その後日本でも評価されるようになったという話が良くある。それは日本だけに限った話ではないだろうが、特に日本では一風変わっていると、異端児されるのが大体常である。
私も又そういう経験があった。尤も、私の場合、海外に出ていったわけではない。日本の中で、最初は外国人向けに歯科治療をしていたからである。しかし、意外と日本人よりやりやすかったのである。彼らは良いものは良いと評価してくれたからである。これが日本人ではなかなか評価されなかったのである。まったく、別の所、例えば、顔だとか、外見だとか、あそこの非常口が開いていたとかで評価されてしまうことが度々だった。
日本社会は、ある意味で協調性が尊ばれる。他と同じようなことをやっていれば、それがどんなにおかしい、理屈に合わなくても、そういうものだということになる。しかし、ちょっとでも、他と違うようなことをすると、どんな良いことでも、これはおかしいと思われてしまう。つまり、和を以って尊しとなすのである。和を以って尊しとなすのであるから、そもそも、異端児は敬遠される。目立たないことが良しとされ、大体みんなどんぐりのせいくらべみたいなところで収まるのである。そして、少しでも出ると打たれるのである。出る杭は打たれ、足を引っ張りあう、これが日本社会である。つまり、頑張る人を評価しない社会なのである。頑張れば、必ず、足を引っ張られ、和を乱さないことが良いとされるのである。
まるで日本社会は本当の意味で共産主義かと言いたくなるのである。しかし、こんな社会に未来はあるだろうか。そして、そのことがまた、世界から馬鹿にされるのである。
日本の常識は世界に通用しない。良いか悪いかは別である。私などは、逆に日本独特の夫婦同姓のどこがいかんのだと思うのである。外国は殆ど、夫婦別姓である。昨今の日本では如何にも夫婦同姓は古くてダサいような言われ方(特にメディアはそう煽っている)をされるが、私から言わせて貰えれば、夫婦同姓のどこがいかんのや、と言いたくなるのである。夫婦が同姓になって、世間的にも一心同体とみなされれば、こんな良いことはないのではないだろうか。しかし、外国は殆ど夫婦別姓なのである。なぜなら、結婚と言うのは外国の場合、個人同士の契約に過ぎないからである。一方、日本の場合は家と家同士の契約みたいなものである。一昔前までは完全に家と家との契約だったのである。憲法には結婚は両性の合意のみによって成立する、と書いてあってもである。だから、眞子様も、それが嫌だったから、小室と一緒になり、日本を脱出したのだろう。如何に小室が秋篠宮の目に叶わなくても、小室と眞子様との合意のみにより婚姻は成立するのである。それが世界標準であり、蓼食う虫も好き好き、だということである。
ことほど左様に私は、日本社会が決して個人を幸せにはしない社会だと思っている。それがまた、世界から見ればおかしい社会であり、馬鹿にされる所以(ゆえん)なのである。
一度、日本人もこの狭苦しい島国から抜け出し、世界に怒涛の如く、出てみると良いと思うのである。そうすると、多分、今までの常識が全く通用しないことに気付かされるのではないだろうか。そして、自分がこんなにも解き放たれたことを実感するのではないだろうか。私はまだ、経験していないが、きっとそうだろうと思うのである。しかし、世界の常識がはたして良いのかどうかと言うのは、やはり、その人次第だろう。決して、私は日本社会が悪いとは思っていない。ただ、世界から見たら、おかしいと思われていることは事実だろう。そして、決して、人を幸せにはしない社会だということも事実だろう。従って、今のままでは日本には未来はないのである。
日本社会は決して、頑張る人を応援しない社会だと、私には写るのである。大体、平和ということの意味は平らに和するという意味だから、一人だけ出てはいけないのである。しかし、こんなつまらない、可能性のない社会なら、私は逃げ出したくなってくるのである。
私は、日本語の平和という意味と英語のピースと言う意味は本質的に違うと思うのである。ピースと言うのは、戦争のような暴力的な破壊行為がなく、自分の自由が得られる状態とでも言えるものであって、決して、みんなが平らに和することではないと思うのである。