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歯は健康の源~人生100年を見据えて

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International Dental Clinic(国際歯科) の日記

世界から馬鹿にされる日本(その六)~世界に何もできない日本。

2022.05.11

昨今のウクライナ情勢において、日本の影響力も大したことはないということが分かってきた。しかし、地政学的に見て、日本ほど、やっかいな隣人に取り囲まれている国も少ないだろう。何しろ、すぐ目と鼻の先にロシアがいる。西に目を向ければ、これまた世界制覇を狙う厄介な中国がいる。そこへ臍の緒みたいに中国にくっついている北の将軍様がいるのである。その下にこれまた、過去にばかり拘っている隣人がいるのである。そして、大海原を挟んで、更に東に目を転ずると、世界最強の日本の親分のアメリカさんがいるのである。

 考えてみれば、有無を言わせぬ世界最強の国々と迷惑な隣人に日本は取り囲まれているのである。

 また、私が思うに、日本が世界から馬鹿にされるのは、過去に世界が日本に対して抱いていた尊崇の念が裏切られたことへの裏返しではないだろうかということである。世界は今まで、どのように日本を見ていたか?日本はかつて、帝政ロシアとも、清とも戦火を交えて、一応勝利を収めているのである。また、世界最大の強敵アメリカに真っ向から挑んだのは、過去にも日本だけである。そして、東南アジアをヨーロッパ列強から結果的に解放したのも日本である。その日本が世界からどう見られていたかは、簡単に分かるのではないだろうか?世界は、日本を自分の命も顧みず、世界を救った救世主のように思っていたことはまず、間違いないだろう。東南アジア諸国もそう、思っていたに違いないのである。
 
 それがどうだろうか。現在の日本を見て、どこの国がそんな風に思うだろう。日本人の大半は、勤勉さを失い、仕事をしないことがまるで美徳のように勘違いし、教育水準は劣化し、馬鹿者ばかりを作ってしまったのである。医療も全然、大したことはないのである。難民を受け入れるかと思ったら、日本の難民受け入れは殆ど、不可能に近いほど、閉鎖的である。結果的に、世界トップテンに入るグローバル企業というのも殆ど、なくなってしまったのである。こんな国が果たして、世界の尊崇を浴びるだろうか?
  
 私などは、今こそ、北方領土を取り戻すのに、絶好な機会はないと思っている。あれだけ、北方領土を取り戻さなければならないと政府は言っていたのである。そして、奇しくも今、その絶好の機会が訪れたのである。あれは口先だけだったのだろうか。じゃあ、いつ北方領土を取り戻すんですか?今でしょう!と私なら言いたいのである。しかし、岸田の、あののほほんとした顔を見ている限り、あいつではとても無理だろう。多分、岸田は今年いっぱいで、終わるだろう。

 もう、私はこの愛するヤマトが世界から馬鹿にされるのを看過できないでいる。ゼレンスキーも言ってくれたではないか。ウクライナに栄光あれ、日本に栄光あれと。私はあの言葉で、ゼレンスキーの本気度を知ったのである。
 
 日本もウクライナと同様、ある意味でロシアは共通の敵なのである。日本もウクライナを対岸の火事だと思わずに、今こそ、G7の一員として、ウクライナと共に戦う決意を示めそうではないか。憲法に足をしばられているという発想はそもそもおかしい。憲法の上にあるものがあるはずである。その覚悟があれば、日本はまだまだ出来ることは一杯あるのである。例えば、この際、原発を全部稼働させて、余った石油やLNGをヨーロッパに回してやればいい。そして、北方領土を取り戻すべく、択捉、国後を取り囲んでやればいいのである。そうすれば、中国も日本の本気度を見て、あんな威圧行為もしなくなるだろう。

 要するに決意の問題だけである。もう平和ボケをしている時ではない。日本は世界から一目置かれるように、今こそ行動する時なのである。そして、日本が世界から尊敬されるところを、実際に見て私は死んでいきたいと思っているのである。

 日本に栄光あれ。ブラボー ヤポーニ。日の本は、もう誰からも馬鹿にされたくない。そして、強くなれば、他国にも優しくなれる。なぜなら、優しさは強者の特権だからである。緊張感のかけらもない政治家共に日本を任せることは出来ない。私は、私が出来る方法で、もがき苦しみながら、このまほろばのヤマトを守っていきたいと思っているのである。

 (後記)思うに、戦後レジームから抜け切れていないのは、むしろ、我々日本国民なのだと思うのである。アメリカに頼っていればそれでいい。そんな事なかれ主義が気付かないうちに蔓延していたのではないだろうか。憲法を変えることは、安倍に言われなくても、当然のことである。終戦当時とは日本を取り巻く状況が一変しているのだからである。しかし、憲法前文に書かれたあの崇高な精神は残すべきである。

 大体、お上に頼るとか、征服者に頼るというのは、百姓の発想である。あのウクライナの戦いを目の当たりにして、私は、そう思ったのである。結局、民主主義と言うのは自分達が自分達の責任においてしか成り立たないのである。だからこそ、自由を手に入れることが出来るのであって、お上に頼っていたのでは、自由も何もないのである。民主主義と言うのは結局、全ての責任が個々人にかかってくるということなのである。私は、あのウクライナの戦い方を見て、改めて、思い知ったのである。

 自由は当たり前に、そこにあるのではなく、命を懸けて掴み取るものであることを、あのウクライナ戦争は教えてくれたのであり、日本人が忘れかけていた過去のDNAを呼び覚まさせてくれたのである。

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