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歯は健康の源~人生100年を見据えて

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International Dental Clinic(国際歯科) の日記

AI vs 人間

2017.11.12

よく近未来において、人工知能が人間の意志を持って、人類を征服するという映画なんかが大いに受けるのである。バイオハザードもその類だろうし、宇宙人と戦っていると思っていたら、敵の正体は一台のコンピューターだったという笑えないような映画もそうである。その場合い、必ず、人類が愛と勇気によって、勝利を収めるというのがお決まりの結末である。もし、それが逆だったら、誰もそんな映画を見てくれないだろう。人間が人工知能を持ったロボットに支配されるなんて、身の毛もよだつほど、忌むべきことだろうからである。

しかしながら、そんなことは有り得ないのである。なぜなら、人工知能はあくまで機械であって、それ以上の何物でもない。一方、我々人間はあくまで生き物であって、それ以外の何者でもないからである。機械は人間の労力、知能の代わりはしてくれても、自分が人間の意志に逆らって動くわけではない。もし、勝手に動くようであれば、それは機械が壊れているか、そもそも設計ミスである。

翻って、我々人間も含めて、生き物とは何であるか?と考えるとき、生き物の定義は自らの体を維持存続させ、自分の個体を増殖させていく存在である。と言える。つまり、それを我々は命と呼んでいる。そして、いくら機械が人間よりも頭が優れていようが、機械は機械に過ぎないのであって、いわゆる「心」を持っているわけではない。人間が感じる心とは何か?というとき、それは、つまり、自分が生き延びようとする、その本能そのものである。と言えよう。人間の喜怒哀楽は全てそこから来ている。IQが高いとか、低いとかいう問題ではないのである。

われわれ人類の祖先は、かつてはアフリカ北東部の豊かな森林地帯で樹上生活を送っていた猿の一種だった。と考えられる。それが、ヒマラヤ山脈の隆起と共に次第に森林が枯渇していった。そのことにより、人類の祖先は二本の足で地上に降りざるを得なくなったのである。しかし、その時、初めて、前の二本の足が開放され道具をつかむことができるようになったのである。つまり、手である。そして、二足直立歩行をすることによって、初めて脳の進化も可能になったのである。そして人類はやがて言葉で自分の意思を仲間に伝達することが出来るようにようになり、ついには火を手に入れたのである。その時点で人類は食物連鎖の頂点に立てたことは間違いないだろう。なぜなら、人類が獲得した火は全ての物を焼き尽くすことが出来たからである。人類は恐ろしい力を手に入れたのである。

やがて、人類は高度な文明を築き上げていった。しかしながら、われわれ人類ホモ・サピエンス(知恵ある人)は生き延びるために知恵を獲得していったのであって、知恵は言ってみれば、生き延びていくための手段であったに過ぎない。

昨今のAI信仰を見るたびに私は何か人間が生きる意味を見失っているのではないかと感じずにはいられないのである。確かに生活はコンピューターのお陰で便利すぎるほどに便利になったし、生活環境も物凄く清潔すぎるくらいに清潔になったのである。ついこの前までは人類は糞便と共に生きていたのである。そして、そんな便利な心地よい生活にどっぷりつかっていると、本来生き物が一様に持っているはずの生きようという意志までも希薄になってしまっているのではないだろうか?昨今の世の中の風潮を見るにつけ、私はそう思わざるを得ないのである。

人口知能はあくまで、便利な道具であり、人類に可能性を開く道具であっても、それに支配されるものではない。あくまで、生き延びようとすることが生き物の本質なのだということを、もう一度、力強く、考えてもらえれば、昨今のような悲しい出来事も避けられることができるのではないだろうか?ふと、私はそう思うのである。

けだし、人は優劣が問題なのではなく、今、目の前にある課題をどうやって乗り越えていくか?そのことに逡巡しながらも乗り越え、生き延びていけるかどうかが問題なのだと思うのである。人工知能はただの道具である。そして、我々は生き物の本質さえ、見失わなければ、AIの恐怖に怯える必要はないだろうと思うのである。

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