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歯は健康の源~人生100年を見据えて

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International Dental Clinic(国際歯科) の日記

へこんだボイラーの思い出

2017.02.03

あれは、もう50年以上も前のことだろうか。私には隆子という姉が居た。通称、たかちゃん。しかし、たかちゃんは私が7歳の時、クモ膜下出血で死んでしまった。前後関係は定かではないが、ばあさまが死に、たかちゃんが死んで、京都のあれは多分西本願寺だったのだろう、そこへ、ばあさまとたかちゃんの納骨の為に親父やおふくろは工場の人と一緒に貸し切りバスで旅に出たのである。今から思えばあれは工場の慰安旅行もかねていたのではなかったのだろうか。しかし、私は病気でもしていたのか、今は記憶が定かではないが、両親が帰って来るまで、親戚の家に預けられたのであった。そこで、私はそこの嫁さんから、一冊の本を渡されたのである。彼女は私が寂しいと思ったのだろう。「てっちゃん、これ読んでみる?」と差し出されたのである。それは夏目漱石の伝記であった。私は寂しさを紛らすために、むさぼるように読んだのかもしれない。今でもうっすら内容は覚えている。とにかく、私は一人ぼっちにされたような気がして寂しかったのである。

その後、親父は何を思ったか、一家の家を新築し始めたのである。おそらく、ばあさまとたかちゃんが引き続いてなくなって、ぽっかり、心に穴が開いてしまったのだろう。それを紛らす為もあったのだと思う。当時としては珍しい、鉄筋コンクリートの家であった。
私はこの家が自慢だった。とにかく、鉄筋コンクリートだからである。そして、当時としてはまだプラスチックが珍しい時代である。そのプラスチックのPタイルが廊下にしきつめられていたのである。なんてことはない、今の塩ビか何かの四角い糊付けタイルである。今のサンゲツの内装の方が遥かに良いのだが、その当時はプラスチック自体が貴重な素材だったのである。とにかく、私には新築の家が宮殿の様に思えたのである。

しかしである。その時の浴室のボイラーに、当時は湯船の中に、腰掛のようなものをしつらえて、その下に穴の開いたボイラ-があるのが一般的だった。その穴を通して水が温められる仕掛けであった。こともあろうに、その腰掛の下のボイラー室にどこからか持ってきたような、でこぼこになったボイラーを親父は置いたのであった。私は、猛烈に反発して、何でこんなボイラーを置くのかと両親に抗議したのである。つまり駄々をこねたのである。お袋もなんとか私を説得してなだめようとしたが私は納得がいかず、抗議し続けたのである。しかし、両親曰く、お前、このボイラーは形がでこぼこでも、ちゃんと、温まるんだ、と言うのである。結局、私は、そう言われてしまえば、しぶしぶ、それに従うしかなかったのである。だが、それ以降、形がいびつだったのは少々気になったが、なんの支障もなく、私は風呂を楽しむことが出来たのであった。

その時からだろうか、私は外見が少し、おかしくても、使えれば、それで良いのだと思えるようになったのは。そして、私はその時の経験から、外見をあまり気にしなくなったような気がするのである。

へこんだボイラーの思い出

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