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International Dental Clinic(国際歯科) の日記

三川(木曽川、長良川、揖斐川)はなぜ、合流したか?

2016.06.16

 愛知の地形において、なぜ河口で木曽、長良、揖斐の三川が合流したか、その謎を追ってみたい。これはCBCかどこかの局か忘れてしまったが、前のあまさんちの何とかという番組で紹介していた内容の受け売りである。しかし、内容が非常に面白く、ここでまた自分なりの見解も出して、皆様にお伝えできればと思った次第である。それと、あまりにも病院が暇過ぎるということもあるが・・・。とにかく、私はこの説は面白いと思った。そこで、是非とも皆様方に紹介したいのである。
 先ず、この様に三つの大河が河口で一つになっている例は世界でも珍しいということである。世界に目を転ずれば、チグリス、ユーフラテスの大河が一つに合流した所に、メソポタミア文明が栄えたというのは、四大文明の発祥の歴史で、大方の皆様が周知のことである。そして、そこに栄えた都市こそ、バグダッドであったのである。このように文明の発祥と大河の存在には密接な関係がある。古代中国の黄河文明の発祥地点は黄河流域であり、インダス文明はインダス河流域、エジプト文明はナイル河流域であり、メソポタミア文明はチグリス、ユーフラテス河のまさに合流地点であったのである。
 そこで、木曽、長良、揖斐の三川についてだが、大古においては、この三川はもともと、違う場所にあって、揖斐、長良、木曽と別々の河口を有していたのである。ただ、揖斐川だけは今の場所と同じ場所にあった。なぜか?揖斐川の西には養老山系がそびえていたからである。木曽川は、大古には、ちょうど今の鶴舞辺りを流れていたのである。なぜ、そのことが分かるのか?私も詳しい証拠は忘れてしまったが、現在の鶴舞辺りが一番低地になっているのである。なぜ、それが分かるのか?これが面白い。
 それは鉄道の位置である。そもそも、鉄道の軌道は水平になっている。勾配を急激に上がるとか下がることは出来ない。とするとどうだろうか?鶴舞ではJR中央線の軌道は高架になっているのに反して、金山では遥か谷のようなところを中央線は走っているのである。つまり、鶴舞はもともと、低いのである。そこに木曽川の川底があったのである。他にも、その地形を読み解く鍵をその番組では説明していたが、ほとんど忘れてしまった。そして、養老山系の造山運動である。これが、又面白い。
 養老山系は100年に一度、造山運動を繰り返している。これはおそらく、南海トラフにおけるフィリピン海プレートの沈み込みと関係があるのだろう。そして、造山運動がおこる度に養老山系は必ず、上昇し、その東にある濃尾平野は沈み込むのである。
 川の水の流れというのは1ミリも低かったら、そちらに流れるのである。つまり、養老山系の造山運動がおこる度に、その縁にある濃尾平野は沈み込んでいくわけだから、木曽川も長良川も西へ西へと移動していったのである。そして、ついには揖斐川と河口が一体になったのである。しかし、それ以上は西に進めない。養老山系がそびえているからである。
 面白くはないでしょうか?私は非常に面白いのである。又、読者諸氏におかれて、もっと、詳しいことを知っておられたら、是非ともお聞かせ願いたい。待っております。次に私が興味があるのは同じ島国でも、グレートブリテン島と日本列島の成り立ちの違いである。もう少し、想を練ってから発表しようと思っている。請う、ご期待なのだ。

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